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■『hana-1970、コザが燃えた日-』松山ケンイチさん《インタビュー》

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hana
1970、コザが燃えた日

はじめにINTRODUCTION

栗山民也×畑澤聖悟(こまつ座「母と暮せば」)と松山ケンイチが初タッグ!

歴史的事実をモチーフにした作品も数多く手がけ、演出家として長い間沖縄を見つめてきた栗山民也が、沖縄の日本復帰50周年を迎える2022年、“沖縄返還”をテーマにした新作『hana -1970、コザが燃えた日-』を上演する。脚本は栗山が「今最も、良いセリフを書ける作家」と絶大な信頼を寄せる畑澤聖悟。そして主役は、現在放映中のドラマ『日本沈没』の演技も話題の松山ケンイチだ。作品は、返還直前の沖縄に生きる人々の様々な思いが交錯した“コザ騒動”を背景に、ある家族の人間ドラマが描かれることになるという。

今回は、意外にも会話劇としては初主演となる松山ケンイチさんに、本作への思いを伺いました。

あらすじSTORY

返還直前の沖縄で、激動の時代を必死に生きたひとつの家族。
沖縄・本土・米国。それぞれの想いがぶつかり合う中
葛藤を抱え迷いながらも、生きる道をみつめていく――

1970(昭和45)年12月20日(日)深夜。コザ市ゲート通りにある米兵相手のバウンショップ(質屋)兼バー「hana」では、看板の灯が落ちた店内で、おかあ(余 貴美子)、娘のナナコ(上原千果)、おかあのヒモのジラースー(神尾 佑)が三線を弾きながら歌っている。
そこへ、アシバー(ヤクザ)となり家に寄り付かなくなった息子のハルオ(松山ケンイチ)が突然現れる。
おかあが匿っていた米兵を見つけ、揉めていると、バーに客がやってくる。「毒ガス即時完全撤去を要求する県民大会」帰りの教員たちだ。その中には、息子のアキオ(岡山天音)もいた。

この数年、顔を合わせることを避けていた息子たちと母親がそろった夜。ゲート通りでは歴史的な事件が起ころうとしていた。
血のつながらないいびつな家族の中に横たわる、ある事実とは。

松山ケンイチさん
インタビュー
INTERVIEW

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『hana -1970、コザが燃えた日-』の出演のお話がきた時、どう思われましたか?

僕は舞台出演は数えるほどしか経験がなかった上に、これまでの出演作は劇団☆新感線など動きのある作品が多かった。『hana』は会話劇ですし、全然違うタイプの舞台です。そういう作品も経験していきたいなと思っていたので、嬉しかったです。もちろんドラマや映画などの映像作品から自分が学べることも、今でもものすごくたくさんありますが、舞台は経験が少ないこともあり、稽古初日からすべてが学びの場です。それは自分にとってチャンスですので、とても楽しみにしています。

この作品の背景にあるコザ騒動は、ご存じでしたか?

忘れてはいけない歴史のひとつだと思っています。でもウィキペディアなどで調べて、こういう出来事があったというのは知識として知ることはできても、その時代にその土地で実際に経験した人たちが、どんな気持ちで、どんな背景があってそこに至ったのかというところまでは想像がつきません。それは稽古の中で、徐々に知っていくことだと思います。今、情報はインターネットですぐに調べられる時代ですが、それだけではすべてを掴んだとはとても言えませんし、まだまだ距離は遠いなと感じています。

沖縄返還50周年の節目に上演される作品であり、かなりテーマ性も深いものになるかと思います。その作品に挑む気持ちは。

ニュースで知ること、教科書で読むことなど、文章や数字で得る知識と、エンターテインメントを通じて感じることとでは、伝わり方が違うと思うんです。自分自身もこの作品を通して学んでいきたいですし、自分が学んだことを、作品を通してお客さんに伝えるということをしなければいけないと感じています。ただ、僕は結局は今の世の中を生きていて、今を生きる36歳の感覚しかありませんので、たぶん本当のコザ騒動の時代に生きていた36歳とは全然違った考え方を持っていると思います。きっと大事にしているものも全然違う。その当時の人には絶対になれません。でも、この作品だって、結局は今を生きている方が観るわけですので、今の人に観やすくなればと考えています。例えば戦争映画、戦争のアニメはたくさんありますが、『この世界の片隅に』などは、少し違う視点から戦争を描き、それによってすごく伝わるものがありました。そういう形で、たぶんコザ騒動を語るにも色々な角度があると思うんです。うまく自分の今の感覚を通して、刺さる角度を探っていければと思っています。そして「絶対に忘れてはいけない出来事」「伝えないといけない過去」ということにこちらが縛られると、僕自身の力みによって、かえって見えなくなってしまうものがあると思います。ですので、楽にやっていけたら……とも思っています。

力まないように……ですか。

一番嫌いなのが力むことなんですよ。自分がこうしたい、ああしたいという欲や、自分自身の主義主張が、役を演じる上で邪魔をすると最近思うので。健康な状態で現場に入り、その器(役)に収まる、あとは動く、それだけでいいんじゃないかなと最近は思うようになってきました(笑)。

まだ稽古開始も先とのことですが、この作品に出演するにあたり、事前に準備をしようと思うことは?

とりあえず縄跳びでも跳んで、体力をつけて、息切れをしないようにしたいです(笑)。コザ騒動の核心に関わる部分は、現場で生まれてくる感情を一番大事にしたいと思うので、あまり今から悶々と考えないようにしたいです。

共演の皆さんも魅力的な方ばかりですね。母親役の余 貴美子さん、弟役の岡山天音さんとはどんな家族になりそうですか?

余さんとは何度かご一緒させていただいています。とてもパワーのある方です。おそらく、何でも知っていながらも力強く佇む“おかあ”を、余さんならではのパワーで演じられると思います。その余さんと対峙するにはきっと全然違う方向のパワーが必要。例えば、子どもが「僕は一人前だ」と、世間を知らないからこそ抱く根拠のない自信、そういったものが持つパワーなどを利用して、演じていこうかな。岡山さんとは同じ映画に出演したことはあるのですが、その時は演技では絡んでいなかったので楽しみですね。どういう形の兄弟になるかまだわかりませんが、言っていることはシリアスだったり、背景に悲しい思い出があったとしても、微笑ましい兄弟げんかができればと思います。

ちなみにご出身は青森ですが、舞台となる沖縄に関して、何か思い入れなどはありますか?

仕事で何度か行っています。そこで知り合った方と今でも親しくしており、時期になると毎年マンゴーを送ってくれるんです。僕もそのお返しにちょっとしたものを送ったりしています。遠い場所ではあるのですが、知り合いがいるからあまり遠さを感じないですね。美ら海水族館とか、子どもに見せたい場所もありますし、遊びにも行きたいのですが全然行けていませんので……この作品を機に、どこかのタイミングで行けたらいいですね。

映像で俳優として確たる地位を確立されている松山さんが、それでも舞台に挑戦したいと思うのは、何故ですか? 舞台ならではの楽しみはどんなところにあるか、教えてください。

「舞台が楽しい」と思うことは実はないんです。舞台はワンカット15秒だけもてばいいという気持ちではできませんので、体調管理も厳しくなります。また全身でお客さんにお伝えしていくというのも、カメラに向かって演技をするのとは違います。アンテナの張り方が映像とは全然違い、自分にとっては楽にできる点がひとつもないんです。でもそういう、自分にとって居心地の悪いもの、緊張するなと思うものって、日常生活では当たり前に避けていくものなのですが、苦手だなと思うこととの関わりからしか得られないものもあると思うんです。常にそういう状況にいるのは大変ですが、自分の中でうまくバランスを取りながら、そういう場にも身を置いていくことで、自分自身の考えの幅が広がっていく。自分自身が豊かになりたいので、避けて通りたいものにもちゃんと向き合っていかないとな、というのが、僕が舞台に立つ理由ですね。

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(取材・文:平野祥恵)