超歌舞伎2022
Powered by NTT
はじめにintroduction
古典歌舞伎とNTTの技術を始めとした最新のテクノロジーが融合した〝超歌舞伎〟が、ついに東京新橋演舞場に初お目見得します。そして引き続いての京都南座には、あの熱狂の舞台が戻ってきます。
今年の超歌舞伎公演は、超歌舞伎の楽しみ方とその魅力をご案内する『超歌舞伎のみかた』で幕をあけます。
続いてご覧いただくのは、舞踊『 萬代春歌舞伎踊(つきせぬはるかぶきおどり)』。真柴結城少将秀康の招きで、出雲のお国の一座が伏見城にやって来ます。お国たちが評判の歌舞伎踊りを披露すると、続いて秀康が国土安穏の舞を華麗に踊ってみせる、長唄の舞踊です。
そして『 永遠花誉功(とわのはなほまれのいさおし)』は、大化の改新のきっかけとなった 乙巳の変(いっしのへん)における蘇我入鹿討伐を題材とした歌舞伎の作品と、初音ミクの代表曲のひとつ「初音ミクの消失」の世界観をもとに書き下ろされた、超歌舞伎の最新作です。
天皇の位をわが物にしようとする蘇我入鹿は、三種の神器を奪い、安倍行主を殺害し、着々とその陰謀を進めていきます。
一方、太宰少弐の未亡人である定高のもとに、入鹿からの使者として金輪五郎今国が現れ、定高の娘で美人と評判の苧環姫を入鹿の后としてさし出すように命じます。これを聞いた苧環姫が自らの素性にかかわる秘密を明かしていき……。また藤原鎌足の家臣であった金輪五郎が、なぜ入鹿の家臣となったのか。ふたつの謎が物語の軸となって、結末へと展開していきます。
更なる進化を遂げている〝超歌舞伎〟の舞台はもとより、リミテッド公演にもどうぞご期待ください!
制作発表レポートREPORT
まずはひと言お願いします。
中村獅童 今回の「超歌舞伎 2022 Powered by NTT」は2ヶ月、4都市で公演をさせていただけるということで、とても嬉しく思っております。そして、私の長男の小川陽喜も出演させていただきます。よろしくお願いいたします。
小川陽喜 小川陽喜です。よろしくお願いします。
澤村國矢 2016年から「超歌舞伎」に参加させていただきまして、昨年に引き続き南座で上演させていただくことはもちろん、今回は博多座、御園座、新橋演舞場、そして南座と4座で上演させていただくわけでございます。その中で、今まではリミテッド公演が南座だけでございましたけれど、今回は東京の新橋演舞場でさせていただけるということで、本当にドキドキしております。どうぞよろしくお願いいたします。
初音ミク(ビデオメッセージ) 皆様、こんにちは!中村獅童さんをはじめ、皆様とともにパワー溢れる素敵な舞台をお届けできるよう、お稽古に励んでいます。私たちの想いがつまった作品を劇場でぜひご覧ください!
全国4ヶ所を巡るということについてのお気持ちを改めてお教えください。
中村獅童 嬉しいです。博多も大好きですし、御園座もたびたび出演させていただいておりますので、そういった複数の劇場で、チャレンジといいますか、新しい歌舞伎ができることは嬉しく思います。
陽喜くんも一緒ですね。
中村獅童 夏休み返上で頑張ってもらうしかないんですけど。彼はライバルですから。最近は「超歌舞伎」の宣伝でバラエティ番組にも親子で出演させていただいているんですけど、カメラはほとんど陽喜の方ばかりを映して僕はあまり映してもらえなくて、ちょっと腹が立っています(笑)。ライバルです。
お父様がライバルだと言っていましたが、陽喜くんはライバルですか?
小川陽喜 ・・・ライバルじゃない。
今度の舞台は楽しいですか?
小川陽喜 楽しい。
日々どんどん成長していく陽喜くんを側で見ていて、すごいなと思うところはありますか?
中村獅童 どんどん僕に立ち向かって来るところですかね。僕も大人気ないので、本気で喧嘩する時もあります。ヒーローものの主人公など、譲りたくなくて取り合っちゃうんですよ。何回かそれで陽喜を泣かせてしまったこともあって、反省しています。本気になっちゃうんですよね。妻ともよく喧嘩してしまいます。
陽喜は喧嘩をしても「パパと寝る」と言って、僕のところに来るんです。そこはすごいというか、泣かしてしまった後でも、僕がふてくされていても、「パパごめんね」と陽喜のほうが先に謝ってくれるんです。僕の方がこどもみたいというか、そういうところも悔しんですが、そういう大人っぽいところが、すごいなと思いますね。
気持ちはとっても燃えているので、その気持ちを「超歌舞伎」にぶつけたいと思います。舞台の上では陽喜に負けたくないので本気でいきます。
陽喜くんはお父様との共演についてどう思いますか?
小川陽喜 楽しいです。
何が楽しいですか?
小川陽喜 歌舞伎をやっているときです。
歌舞伎をやっているお父様はどうですか?
小川陽喜 格好いいです!
澤村國矢さんから見て、陽喜くんの成長は感じますか?
澤村國矢 すごく感じますね。コロナ禍であまりお会いすることができなかったんですけど、今回の公演で共演させていただいて、1月の歌舞伎座公演も拝見しましたけど、その1月から見得がさらに上手くなっていたり、良い間で引っ込んでいったり。これは末恐ろしいなと感じております。
陽喜くん、好きな歌舞伎俳優はいますか?
小川陽喜 ・・・・・。
中村獅童 (小声で)歌舞伎で誰が好き?…パパでもいいんだよ?…誰?
小川陽喜 ・・・・・パパ。
これから2ヶ月間の公演になりますが、不安に感じるところはありますか?
中村獅童 熱い中で長丁場の舞台になるので、体力勝負だと思います。公演回数も多いので、しっかりやれればと思います。
今回の一番の見どころは何でしょう?
中村獅童 NTTさんの技術が年々ますます進歩しているので、デジタルの進歩と、初音ミクさんの歌舞伎の上達ぶりというか、踊りが年々うまくなっているんですよ。バーチャルの技術と、古典歌舞伎との融合という部分で、どんなものができるかというところが見どころです。これは本当に観ていただかないと分からないと思いますので、とにかく観てほしいです。
それからペンライトですね。ペンライトを振って観る歌舞伎は「超歌舞伎」だけですから。京都公演をやったときも、普段、和服をお召しになって来てくださっているお客様も、最後はペンライトを振ってくださったので、すごく嬉しかったです。歌舞伎というと、どうしても敷居が高くて難しそうなイメージがあると思うんですけど、夏の暑いときのお祭りに行くような感覚で楽しんでいただければと思います。
あと、若い方たちや歌舞伎を知らない方たちに知っていただくという、それが僕自身の使命だと思っております。「超歌舞伎」を通して歌舞伎に少しでも興味を持っていただきたいです。今、大変な時期ですけど、ルールを守りながら、皆様に楽しんでいただけるよう、全身全霊で今の想いをお客様にすべてぶつけていきたいなと思います。
陽喜くんのことをライバルとおっしゃいましたが、父親としてはどうあってほしいですか?
中村獅童 歌舞伎も自分からやりたいと言って始めたことですから、好きなことをどんどんやってほしいですね。すくすく育ってくれたら嬉しいです。歌舞伎も途中でもし嫌になったら辞めていいと思うし、好きじゃないとできないことだと思うんです。よく歌舞伎のお家って、将来が決まっていて大変ですねと言われたりするんですが、全然そんなことはなくて、うちの場合は特に父は早くに廃業していますし、僕は自分が好きでやりたくてこの世界に入らせていただきました。息子が「自分もやってみたい」と言うのを待っていた部分はあるかもしれないですけど、実際「僕もやってみたいなぁ」と陽喜が言ったので、だったら責任持ってやりなさいということで、こうやって大舞台に立たせていただけるということはありがたいです。
演出面での見どころをお教えください。
中村獅童 バーチャルの技術で言うと、LEDパネルも新しいものになりますね。劇中で相撲をとったりする場面があるんですけど、そこで使う映像も迫力があります。相撲と立ち回りと、ちょっと出てくる陽喜ですかね(笑)。
澤村國矢 今回、僕がやらせていただいたボリュメトリックという新技術がありまして、360度のカメラで全方位撮影し、それを抽出して、デジタル上に私とミクさんと同一に存在するように見せる技術がございます。
中村獅童 それから最初の「超歌舞伎のみかた」は國矢さんと中村蝶紫でトークがあって、その中でも新たなNTTさんの最新技術があるかもしれません。まだ詳しく言えないですけど。盛りだくさんなので、お腹いっぱいになって、楽しんでいただけるのではないかなと思います。
南座の時は、お年を召した方もペンライトを振って「こんなに楽しいなら、今度は孫連れてこよう」という方もいらしたので、幅広い世代の方たちに最新技術と歌舞伎が融合する舞台を楽しんでいただけるのではないかなと思います。
(澤村國矢さんへ)リミテッドバージョンを経験されたことで影響を受けたもの、得たものなど、経験を通して感じたことをお聞かせください。
澤村國矢 私みたいに一般家庭から歌舞伎の世界に入った役者が、舞台の真ん中に立つことは数少なく、あまり例がないことです。それを獅童さんが企画を作ってくださったことで、夢を叶えることができました。舞台の真ん中に立った時にしか見えない景色とか感情とか、やったものにしか分からないことがとても多いです。自分が先頭を切って成果を残して、同輩が夢みていける公演が増えるよう、認められるようにしっかりやらないといけないと思っています。リミテッドのように真ん中に立つ時は全身全霊で向かっていきます。みんなの夢のためにも頑張っていきたいと思います。
真ん中からの景色をみたことで、作品や役に対する発見や理解が深まったことはありますか?
澤村國矢 ありますね。裏から人を見て芝居をするのではなく、自分の後ろに従えているという、いろんな目が自分に集中していることがなかったので、そこでどう演じるかなどを獅童さんがアドバイスしてくださいました。それを実践したことで、それをなさっている方たちは舞台で大きく見えるんだということを、客観的にも実感しながら演じることができました。
16年に「超歌舞伎」が始まった時には、今回のように全国の歌舞伎専用の劇場で公演ができることは予想されていたのか、いつかやってやろうという気持ちでいたのか。どう思われていたのですか。
中村獅童 これだけの規模の劇場でやらせていただくまでに7年かかっています。「初音ミクさんと歌舞伎で何やるの?」と、普通思うと思いますよね。当初は色眼鏡というか、何ができるんだという空気もあったんですけど、7年間諦めずに今日まで応援してくださったミクさんのファンの方たちやサブカルチャー好きの若者たちが「超歌舞伎」というものを育ててくれて、ひとつのジャンルとして作ってくれたんだと思います。我々といつも幕張メッセに集まってくださる「超歌舞伎」ファンの皆様との友情といいますか、やっぱり初演の時からいつか歌舞伎の劇場に進出してやるということは正直、思っていましたね。やってやるって。だから南座が決まったときは少し時代が動いたのかなという気持ちになりました。
伝統と革新を追求していくのが中村獅童の生き方です。人にはそれぞれ与えられた役割や運命があるとしたら、僕はこういうことをやって、少しでも多くの他ジャンルの人たちを振り向かせることが自分の使命だと思っています。いつでも闘志はあるし、時代を動かしたいとか、歌舞伎をもっともっと変えていきたいとか、歌舞伎界を変えていきたいと、そういう想いでやっています。
リミテッドバージョンというのは、お弟子さん筋にあたる人たちに主要な役をあてていて、國矢さんにも主役をやっていただきます。一つの希望の星になればいいと思っています。もっとお弟子さんたちが活躍できる公演が増えていくことを切に願うばかりです。僕も微力ながらやれることはやっていこうと思っています。そうしないと変わらないと思うので。
大切なものは残して、いらないものは変えていかないと、何も変わらないのかなと。未来に向かって30年後、40年後、50年後と自分たちが去った後も歌舞伎という一つの演劇が、その時代その時代の今を生きる演劇として残っていたら楽しいかなと思いますね。もしかしたらこれ(超歌舞伎)が100年後に古典として残っているかもしれないし、そういった未来に向かっての夢とか、それが歌舞伎の楽しいところなのかなと、観続けることができる演劇というのは歌舞伎だけですから。未来に向かってやれることをやって突っ走っていきたいと思います。
中村獅童さんインタビュー INTERVIEW
逆に古典歌舞伎ファンの方も、
一度足を運んでいただけたら
伝統芸能・歌舞伎と、最新テクノロジー・ボーカロイドが融合した「超歌舞伎」が、ついに東京・新橋演舞場に初進出ですね。歌舞伎をあまり観ない若者や初音ミクファンに歌舞伎への扉を開いた超歌舞伎ですが、逆に今回は、普段新橋演舞場によく行くような古典歌舞伎ファンで、初めて超歌舞伎を観る方もいるかもしれません。まずは超歌舞伎の見どころと「超歌舞伎、恐るるなかれ」というところを教えていただければ……。
超歌舞伎は2016年に幕張メッセで初上演、今年で7年目になります。今回は『萬代春歌舞伎踊(つきせぬはるかぶきおどり)』『永遠花誉功(とわのはなほまれのいさおし)』の二本立てで上演しますが、最初に「超歌舞伎のみかた」という解説があって、踊りがあって、お芝居があって……というのは、歌舞伎の公演として馴染みの上演形態。お芝居の中でも立廻りがあって、これぞ歌舞伎という見せ場がたくさんあるので、歌舞伎を観慣れていない人も、普段からよく観ている方も、理屈抜きに楽しめると思います。もう少し詳しく言うと、『萬代春歌舞伎踊』は藤間勘十郎先生が作ってくださる古典舞踊で、初音ミクさんが踊りを披露してくれます。『永遠花誉功』は、歌舞伎ファンの方にしたら「これは『妹背山婦女庭訓』のあの場面が下敷きかな」というような楽しみ方もできるかも。でも、超歌舞伎はそういう予備知識なく、体感していただくものだとも思っています。南座の時に(’19年、’21年)、ペンライトなんて初めて振ったというようなご年配の方が、病みつきになってしまったようで、二度三度といらしてくださった。リピートしてくださったのは、意外と年齢の高めの方が多かったんですよ(笑)。おじいちゃん、おばあちゃんが「こんなに楽しいなら、次は孫を連れて来よう」と、家族を誘って来てくださったりしていました。
ペンライトは超歌舞伎の名物ですが、普段の歌舞伎の公演でペンライトを振ることなどないですもんね。
そう、この2年、コロナで皆様辛い思いもされていたと思いますので、思いっきりペンライトを振ってストレスを発散してほしいです(笑)。僕らにとっても皆様のご声援、ペンライトの光が力になりますし、演出効果にもなる。「この場面は赤い光」とか色々あるんですよ。意外と操作が難しいようで、慣れない方はずっとスイッチをカチャカチャやって、その間の芝居を観てくれないので(笑)、少し劇場に早くいらしていただいて、ペンライトの操作方法を覚えていただくところから楽しんでもらえたら。しかも、元々の超歌舞伎は「皆様自由に大向うがかけられる」というものなのですが、まだ声を出せないご時世ですので、“大向う付オリジナルペンライト”というものを開発しましたので、ボタンを見なくても操作できるようになっていただけるとありがたいです。それで次回、お孫さんを連れてきた時に使い方を教えてあげる、親から子へ、祖父母から孫へ……、これぞ歌舞伎の伝統の形です!
超歌舞伎も7年目に突入ですが、当初はかなり衝撃的で斬新なチャレンジでした。獅童さんはかねてより「伝統と革新」という言葉を口にしていますが、どういう思いで新しいことにチャレンジしていらっしゃるのですか。
やっぱり若い方たちにどんどん観てもらわないと、歌舞伎が今を生きる演劇として消滅していってしまうんじゃないかという危機感があるというのが、正直な思いです。超歌舞伎や初音ミクさんの力を借りて、子どもたちや若い方に観てもらって「歌舞伎ってこういうものもあるんだ、面白いよね」と思っていただき、最終的には古典にも興味を持ってもらえたら嬉しい。今の時代、どういうことをやったらみんなが喜んでくれるかと常に考えています。特にコロナ禍では、中村獅童という歌舞伎俳優のこれからの歩みをずっと考えていました。超歌舞伎も、『あらしのよるに』という絵本を題材に歌舞伎を作った時も、新しいものを作るんだけれど、古典の枠組みも大切にする、というのは大事にしています。我々はバーチャルとコラボレートしますが、我々自身がバーチャルになるのではなく、あくまでアナログな古典歌舞伎の動き、台詞回し、衣裳、お化粧で作品をお届けする。“古典歌舞伎にこだわった新作作り”ということは心がけています。
「伝統と革新」というキーワードに行き着いたきっかけはあったのでしょうか。
色々とカッコいいことを言ってますが、僕は父が歌舞伎俳優じゃないから、もともとあなたは歌舞伎界で主役をやるのは難しいですよというポジションからスタートしています。本当のことを言うと、自分独自のやり方をしていかないと歌舞伎の世界で生き残っていけなかったんです。でも歌舞伎界もこれからどんどん変わっていって欲しいと思う。一方で年功序列制や梨園制度というものは、色々なご意見があるけれど、僕はもちろん否定していません。親を応援しているから、その子どもや一門も応援したくなる、それも歌舞伎の楽しいところだと思いますし。だから人それぞれ、与えられた使命があるんだと思います。大名跡を襲名して、その重圧に耐えながら戦っていく方もいれば、僕みたいに色々な角度から挑戦していく人もいる。色々いていい。僕は僕なりにやっているだけですが、自分自身への影響としてはやはり(18代目)中村勘三郎兄さんの影響はものすごくありました。芝居のノウハウを一から教えていただき、一番俳優として吸収しなきゃいけない時期にずっとご一緒させていただきましたから。コロナのことや僕自身が病気をしたこと、まもなく50歳になるということで、自分の来た道を振り返り、自分自身に問いかけることが最近多いのですが、やはり勘三郎兄さんのことや両親のこと、それから皆様がどういうものを求めているのかを考えます。時代に取り残されるということが一番良くない。歌舞伎というのはもともと、流行の最先端を行く芸能だから。現代に生きる中村獅童は、“かぶく”精神は忘れてはいけないと思います。
ある意味、最先端技術と融合する超歌舞伎は、本来の歌舞伎の姿だと。
そう、今は奇抜なことをやっているように思われるかもしれないけれど、江戸時代にバーチャルがあったら、とっくにやっていたと思う。それが歌舞伎です。そうやって新しいものをどんどん取り入れて作って、残ったものが古典になっているんだから。先入観で「これは歌舞伎、これは歌舞伎じゃない」と決めつけるのはよくないと思っている。と言っても、バーチャルと歌舞伎の融合と言われても「は?」って思いますよね(笑)。でも、まずは観ていただければ納得していただけると思う。純粋に、観て楽しんでいただければ嬉しいです。
ちなみに、初音ミクさんとの共演ということで……お稽古はどうやっているのだろうと興味が沸くのですが、いつもの歌舞伎の舞台とは違うご苦労はありましたか。
初回はものすごく大変でした。古典的な歌舞伎は、僕らはわりと短い稽古でパパパっと作り上げるんです。それは基本的なことがみんなアタマや身体に入っていて、歌舞伎の約束事の上で、あうんの呼吸でできるから。そこにデジタルチームが入ると、歌舞伎特有の間を理解してもらうことから始まりますし、「このタイミングで映像が入る」というスタッフ間の意思疎通にも苦労しました。大変でしたが、本番でお客様が熱狂してくださって、涙・涙の最終日でスタッフキャストもみんな拍手して終わったのはいい思い出です。演者としても一回目は大変で、ミクさんの姿が、客席からはちゃんと見えるんだけれど舞台上で並んじゃうと見えなかったり、台詞もエコーがかかっているように聴こえてしまったり、デジタル特有の呼吸を掴むのに苦労しました。でも公演を重ねるにつれ、技術も向上し、今では僕からもミクさんの美しい姿がはっきり見えます。今年4月の幕張公演では新しくLEDパネルも入り、バーチャルの部分での見ごたえもアップしました。そしてミクさんが努力家だから! どんどん踊りが上達して、我々が子どもの頃から鍛錬してきたことをこの7年でよくぞここまで……というところまで会得されています。もう、いつほかの古典歌舞伎にミクさんが出てもおかしくないと思いますよ!
超歌舞伎を通して、これまで歌舞伎に縁がなかった若い人が興味を持つようになった。それは獅童さんの狙い通りかと思いますが、お客様の反応で嬉しかったことなどを教えてください。
狙いがハマっているか、まだ大きなことは言えませんが、そういう流れに少しでもなったということは嬉しいですね。幕張での昔の映像を観ると、客席が映っているのですが、泣いている方も多くて。あれは嬉しいですよね。彼らはミクさんのファンで、「バーチャルの世界に歌舞伎が来てくれた」と感謝とリスペクトの念を抱いてくれている。幕が閉まったあとに「スタッフさんありがとー!」「超歌舞伎ありがとー!」ってみんなで声を揃えて叫んでくれたりして、その声を聞くと泣いちゃうよね……。なんでかわからないけれど、毎度毎度、熱い気持ちにさせられる。僕が病気をした次の年は、5千人のお客様が「おかえりー!」と叫んでくれた。それこそ入院中も超歌舞伎ファンの方が「幕張で待っています」とたくさんお手紙をくださいました。ミクさんファンの方たちがここまで超歌舞伎を育ててくれたのだと思うし、ミクさんファンと僕らの間で芽生えた友情は大切にしたいです。また、皆様がとても勉強熱心なんですよ。最初に『今昔饗宴千本桜』をやった時には、数か月後に歌舞伎座で『義経千本桜』の通しがあって、僕は出ていないのに多くのミクさんファンが「千本桜」の勉強にと観に行かれたそうです。超歌舞伎は、もともとは「大向うなどもご自由に」というスタンスでやっています。今はコロナ禍なのでできませんが……。最初は若い方が茶化した大向うを掛けたりするのかな、何があっても怒るのはやめようと覚悟していたのですが、全然そんなことはなく、皆様本気で大向うをやっている。本気だから間が外れても腹が立たないし、みんな楽しんでくれているんだと嬉しくなる。しかもなんと彼らも年々、大向うが上手くなっている(笑)。一緒に成長しているんだなと思います。今年の幕張公演では息子の陽喜が初出演したのですが、僕の屋号は「萬屋」(よろずや)だけど、今年は「ちちお屋!」、陽喜は「ジュニ屋!」って掛けられたりして。超歌舞伎ファンの人たち、シャレがきいてるなと楽しかった (笑)。
幕張メッセから始まった超歌舞伎が、この夏は4都市の歴史ある劇場での公演となります。今後の展開も気になりますが……。
やりたい気持ちはもちろんありますが、今回成功しないとなんとも言えませんね(笑)。今回成功させることが次回に繋がると思いますので、何としても面白いものを作ろうと思います。もちろん僕としては色々な都市でやりたい。南座公演で、僕が口上している時に最前列で号泣している男の子がいたから、口上途中でインタビューしたんですね(笑)。聞いたら、台湾からわざわざ来たんだと。その時は「わー、ありがとう」で終わったのですが、あとからスタッフが情報を集めたところ、ニコニコ超会議の時(幕張公演)の公演をインターネットで観て、超歌舞伎にドはまりし、日本語を勉強し、日本の会社に就職し、その時が超歌舞伎を初めて生で観た時で感極まって泣いていたそうです。その方は台湾で超歌舞伎をやってもらうことが夢だと聞き、そんなに思ってくださる人がいるんだったらいつか台湾でもやりたいなと思いますし。初音ミクさんは、たくさんの国で愛されていますから、ミクさんファンが大勢いらっしゃる国でやるのも楽しいですよね。
最後に、行こうかどうか迷っている方の背中を押すようなメッセージをお願いします。
コロナの影響もあり、この2、3年で世界はいい意味でも悪い意味でもガラリと変わりました。我々はアナログな古典歌舞伎をどう観せていくかと考える時期にきていますし、いい風に考えると、歌舞伎界が変わるチャンス。だからこういう超歌舞伎のようなものがあっていいと思うし、僕はこういうことをやって若い人たちにメッセージを発信していくのが使命なのかなと思います。昔、『ピンポン』という映画に出たことで、テレビや映画のオファーがいただけるようになり、“中村獅童”が一気に世の中で認知された時に、中村勘三郎兄さんに言われたんです。「コクーン歌舞伎」を渋谷でやっている時でしたが、「本当の意味で若者を振り向かせることは俺はできないけれど、君はそれができるんだよ」と。その意味を今、噛みしめています。当時は頭で理解していても全身でわかってはいなかった。今は身体でもそれをわかっている。そういう男が作っているのが「超歌舞伎」です。ぜひ、歌舞伎にあまり縁がなかった方も、逆に古典歌舞伎ファンの方も、一度足を運んでいただけたらと思います。
(取材・文:平野祥恵)